昭和3年(1928年)七尾港図 (部分) (昭和3年発行『七尾港修築要覧』より)
昭和3年10月石川県発行の『七尾港修築要覧』付録の地図です。鹿島郡長大塚志良、七尾町長松井善四郎らの請願運動により明治30年七尾港は指定貿易港となり新潟税関の支署が設置されました。次いで明治31年七尾鉄道が開通し、翌年には開港場の指定を受け、小樽起点の七尾−ウラジオストック航路ができ日露貿易を開始するなど港勢の進展にともなって七尾線を分線し明治37年には七尾港駅を設置しました。大正に入ってからは矢田新の海面一万坪を埋め立て埠頭・桟橋・貯木場など港湾設備を次々と整えていきました。七尾港の着実な発展の背景には戦争による好況がありました。昭和2年には遂に第二種重要港湾に指定され市は従来の港湾施設は応急的なものにすぎず重要港湾としての使命を果たすために臨時港湾調査会の審議を得て七尾港修築計画の確定を見ました。その当時の修築計画をこの地図を通して見てみると将来的には壮大な七尾港改造計画をたてていたことが分かります。現在の海岸線との違いを見れば壮大な計画は実現を見ることがなかったことが分かりますが当初の計画は財政的な理由で遅延したものの、昭和15年発行の『七尾の港』によると昭和15年時点で矢田新埠頭の拡幅、物揚場、府中町埠頭の構築などは既にほぼ完成しています。湾岸地域には七尾セメント、日産化学工業などの産業もあり七尾港はまさに発展の一途をたどっていました。しかし、太平洋戦争末期昭和20年、アメリカ軍による機雷投下によって七尾港は機能不能に陥ることになります。











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